2009/10/05

The Limits Of Control (リミッツ・オブ・コントロール)


ジム・ジャームッシュの新作「リミッツ・オブ・コントロール」を観てきた。
[最初は興奮して書いたので観てない人にはワケが判らない文章になってた。落ち着いて書き直し]

ストーリーについてはパンフなどに書かれているとおり。
「自分こそ偉大だと思っている男を墓場へ送る」ミッションを与えられた暗殺者(イザック・ド・バンコレ)が仲間たち(エージェント)から少しづつ手がかりや指示を与えられ、スペイン各地を移動しながらターゲットに近づいて行く。

映像的には緊張感あるし、オールスペインロケなので色彩とか造形はぜんぶ(良い意味で)トチ狂っている。これはこれで観ていて飽きない。

そして暗殺者はいつもカフェでエスプレッソを2杯飲みながら、エージェントが現れるのを待つ。
そして現れるエージェントたちは工藤夕貴を含む多国籍オールスターなキャスト。
その豪華なエージェントたちは、まず音楽や絵画や映画や科学などについて一見意味ありげで実はどうでもいいような話を繰り広げてからおもむろにマッチ箱に忍ばせた指令を主人公に与える。
このあたりは前々作の「コーヒー&シガッレツ」を彷彿させるようでもあるが、逆にダラダラしているように感じて退屈しちゃう人もいるかもしれない。

ただし、最終的にはターゲットの男に行き着くのだが、それまで何の事件も盛り上がりもないので、スパイ物、サスペンス物としては期待しない方がよい。
ひたすらジャームッシュらしい映像と会話を楽しんでいた方が飽きない。でも、どんな会話がなされたかは憶えておいた方がよい。どうせ台詞も少ないし。

いちおう豪華キャストに触れておくと、ジョン・ハートは嫌みったらしい英国人風、工藤夕貴は神秘的な日本人、ガエル・ガルシア・ベルナルは軽薄なスペイン人といった感じ。

ボク的にはとにかくティルダ・スィントン、なにせボクの前世でのパートナーだったから(笑。
最近はおばさん役が多かったが久しぶり(というよりジャームッシュの前作以来)のエキセントリックな美女役。
嬉しいなぁ、こういう登場の仕方は。


さて、映画のクライマックスはターゲットの厳重に警備されたアジトに乗り込んでの一幕。

まず、このアジトに乗り込む方法が実はこの映画の肝である。
黒人だから闇夜に紛れて・・という差別的なジョークをつい書きたくなってしまうが、主人公が口にする「想像力によって」こそこの映画のテーマを表している。

暗殺のターゲットはまさに「自分こそ偉大だと思っている男」
音楽にも絵画にも映画にも科学にも意味などなくボヘミアン的な人間を嫌い、世界を動かしているのは経済だと考える男。
そのようなターゲットの近づくのも不可能そうな居室にあっけなく入る暗殺者。
ここでどうやって入ったのかなどという議論は不要、考える必要もない。
人間の想像力こそ「NO LIMITS」であることを象徴しているのだから。

そして暗殺者はあっけなく、武器も使わず、ターゲットを墓場に送り込むことに成功する。

この場面は、ターゲットとなる男は世界をこんなにしてしまったシステムの象徴であり、暗殺者は音楽や絵画や映画や科学など人間の想像力を信じる勢力を象徴していることは疑いもない。
映画中盤までのウダウダした話にも実は意味があったというワケである。
とにかく、システムに対する、想像力の逆襲というテーマがここではっきり明かされ、そして、この映画を観に行くような、想像力溢れる僕たちが勝ってしまうのだよ。なんと素晴しい!

最後の最後で、この映画は実に政治的な映画だったということが明かされるという仕掛け。

うーむ、途中まではジャームッシュらしいスタイリッシュな映像とゆるいストーリーの映画かなと思っていたが、このクライマックスでひっくり返ってしまった。
こんなにも寓話的で明確に政治的なメッセージを持つ映画だったとは。
とにかく21世紀ジャームッシュの傑作である。

それにしても、このような政治的寓話が2009年9月に日本で公開されるというタイミング。
だって、愛とか友情とかを絵空事だとせせら笑っていた政治家が自尊心をずたずたにされて墜ちていく光景を僕たちはつい一ヶ月前に目撃したばかりじゃないか。